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=== 不確定自我の損得 ===
民族の同一化の不確定性は、日本人論が日本ではやるという事で表現されるだけでなく、他の方面にでも表現される。
自我の不確定性は、よく安全化の欠乏をともなう。それは、焦りを生み出します。日本人論がはやるのは、日本人自我の同一化での文化的焦りのようにうつります。日本は、古代中国に対して自分の位置を決めておりました。近代日本は西洋国家を基準にし、「脱亜入欧」の道を歩き始めたのです。この変化は、日本をもともと中国システムの端から西欧システムの端へと変えました。近年日本経済は低迷を続けておりますが、中国とその他のアジア国家は急速に発展を始めております。日本は、アジア復帰のスローガンを口にするようになりました。<国家の品格>の著者は「脱欧帰亜」派といってもいいと思います。しかし、まだ、一部の人(政治家の阿部、麻生など)は、西側との価値観の共有を強調します。古い「脱亜入欧」論の刷新と言っていいと思います。この2種類のはっきり分かれた観点には、少なからず追随者がおります。実際の情況は、日本は完全に「入欧」でもありませんし、完全な「帰亜」でもありません。これまでもずっと、それらの端に位置しているのです。当然、どんな国家や民族でも有る時期、他国若しくは他民族を対象として自分の位置を決め自分の地位を変える事はあります。しかし、日本のように自分の位置に敏感ではありません。定位困惑する国家は、そんなに多くありませ。いつも端に位置する日本は、人に遅れるのを恐れているのです。その位置を奪われ、孤立する事を恐れているのです。日本は、西側国家から捨てられるのを心配し、アジアで孤立する事をも心配します。自我同化の不確定性は、すべて悪いという訳ではありません。個人についていうと、自我の不確定性は常に機敏性をもたらし、環境に対応する能力を与えます。なぜなら、一人の自我が、明晰でなければないほど、人は柔軟になり、自分を変えやすくなり、新しいものを受け入れやすくなる。集団においても同じ事が起こります。集団自我の不確定性は、他の人の評価を気にし、人の後ろに隠れ、他人の嘲笑を恐れ、通常以上の力で自分を変え、人に追いつき、追い越します。日本人は、外部世界に極端に敏感です。強烈な好奇心を持ち、日本人は、まるで高性能のレーダーのように、世界の情勢に反応します。いつでも自分の行為を調整する準備があり、最高の対応能力を示します。これも日本が近代で急速に発展した重要な原因だと思います。
この点、日本外交は主体性を書いております。現在日本は、アメリカとアジアの外交の平衡を失っております。日本は、アメリカに服従しており、何でも従います。日本の外交官達は、外交成果を求めていると言いますが、アメリカで不満が生まれない事を優先して考えていると言ったほうが正しいと思えます。どちらにしても全てをアメリカとの同一化に集中して努力しています。日本人の中には、「日本はアメリカの51番目の州になっている」と風刺する人までいます。実際、歴史上最強の戦略的同盟は、近代日本の外交の特徴となっております。
しかし、一方、強大でない国家に対しては、ある種の優越感があり、それらの国の感情を、軽視したり無視したりします。例えば日本は、中国や韓国などのアジア国家の前では、別の自我を見せます。日本のこの種の表現は、よく我々を困惑させます。しかし、日本民族の自我の同一性からみると、アメリカ(西洋)の前で見せる劣等感の自我と、アジア国家の前でみせる優越感の自我は、どちらも民族同一の不確定性、及びそれがもたらす安全感の欠如から起こる表現なのです。なぜ冷戦が終わり、昔の同盟がすでに意味を失っているのに、アメリカとの同盟が弱くならずに、さらに強く結びついている事を、そして他のアジア国家(特に中国、韓国、北朝鮮)の関係が変わらず良くないのを説明しております。昔の意識形態「陣営」は、存在しません。各国が主体的に独立して直接国際事務を処理できるのに、主体性のない外交をしている日本にとっては、世界が変数に充満しており厳粛にかわっているのです。強大なアメリカに捨てられるのを恐れているのです。しかし、そのようにすればするほど、アジアの隣国とは疎遠になり、アジアでますます孤立する事になるでしょう。
アメリカの学者 Huntington は、書籍「私は誰?」の中で、アメリカ人の民族同一化問題を取り上げております。世界中で国家内の民族多元化、グローバル化は、だんだん伝統国家の同一化に取って変わりつつあり、特に先進国では、国家の同一化が危機状態になっております。「我々とは?」という問題は、単に日本人が直面してる問題ではありません。しかし、肯定できるのは、この問題は日本人にとって、大変大きな不確定性と独自性をもっており、「日本人とは?」という問題は、今後も日本人にとって、もっとも議論が盛んになる問題の一つでありつづけるでしょう。
=== 不確定自我の損得 ===
民族の同一化の不確定性は、日本人論が日本ではやるという事で表現されるだけでなく、他の方面にでも表現される。
自我の不確定性は、よく安全化の欠乏をともなう。それは、焦りを生み出します。日本人論がはやるのは、日本人自我の同一化での文化的焦りのようにうつります。日本は、古代中国に対して自分の位置を決めておりました。近代日本は西洋国家を基準にし、「脱亜入欧」の道を歩き始めたのです。この変化は、日本をもともと中国システムの端から西欧システムの端へと変えました。近年日本経済は低迷を続けておりますが、中国とその他のアジア国家は急速に発展を始めております。日本は、アジア復帰のスローガンを口にするようになりました。<国家の品格>の著者は「脱欧帰亜」派といってもいいと思います。しかし、まだ、一部の人(政治家の阿部、麻生など)は、西側との価値観の共有を強調します。古い「脱亜入欧」論の刷新と言っていいと思います。この2種類のはっきり分かれた観点には、少なからず追随者がおります。実際の情況は、日本は完全に「入欧」でもありませんし、完全な「帰亜」でもありません。これまでもずっと、それらの端に位置しているのです。当然、どんな国家や民族でも有る時期、他国若しくは他民族を対象として自分の位置を決め自分の地位を変える事はあります。しかし、日本のように自分の位置に敏感ではありません。定位困惑する国家は、そんなに多くありませ。いつも端に位置する日本は、人に遅れるのを恐れているのです。その位置を奪われ、孤立する事を恐れているのです。日本は、西側国家から捨てられるのを心配し、アジアで孤立する事をも心配します。自我同化の不確定性は、すべて悪いという訳ではありません。個人についていうと、自我の不確定性は常に機敏性をもたらし、環境に対応する能力を与えます。なぜなら、一人の自我が、明晰でなければないほど、人は柔軟になり、自分を変えやすくなり、新しいものを受け入れやすくなる。集団においても同じ事が起こります。集団自我の不確定性は、他の人の評価を気にし、人の後ろに隠れ、他人の嘲笑を恐れ、通常以上の力で自分を変え、人に追いつき、追い越します。日本人は、外部世界に極端に敏感です。強烈な好奇心を持ち、日本人は、まるで高性能のレーダーのように、世界の情勢に反応します。いつでも自分の行為を調整する準備があり、最高の対応能力を示します。これも日本が近代で急速に発展した重要な原因だと思います。
この点、日本外交は主体性を書いております。現在日本は、アメリカとアジアの外交の平衡を失っております。日本は、アメリカに服従しており、何でも従います。日本の外交官達は、外交成果を求めていると言いますが、アメリカで不満が生まれない事を優先して考えていると言ったほうが正しいと思えます。どちらにしても全てをアメリカとの同一化に集中して努力しています。日本人の中には、「日本はアメリカの51番目の州になっている」と風刺する人までいます。実際、歴史上最強の戦略的同盟は、近代日本の外交の特徴となっております。
しかし、一方、強大でない国家に対しては、ある種の優越感があり、それらの国の感情を、軽視したり無視したりします。例えば日本は、中国や韓国などのアジア国家の前では、別の自我を見せます。日本のこの種の表現は、よく我々を困惑させます。しかし、日本民族の自我の同一性からみると、アメリカ(西洋)の前で見せる劣等感の自我と、アジア国家の前でみせる優越感の自我は、どちらも民族同一の不確定性、及びそれがもたらす安全感の欠如から起こる表現なのです。なぜ冷戦が終わり、昔の同盟がすでに意味を失っているのに、アメリカとの同盟が弱くならずに、さらに強く結びついている事を、そして他のアジア国家(特に中国、韓国、北朝鮮)の関係が変わらず良くないのを説明しております。昔の意識形態「陣営」は、存在しません。各国が主体的に独立して直接国際事務を処理できるのに、主体性のない外交をしている日本にとっては、世界が変数に充満しており厳粛にかわっているのです。強大なアメリカに捨てられるのを恐れているのです。しかし、そのようにすればするほど、アジアの隣国とは疎遠になり、アジアでますます孤立する事になるでしょう。
アメリカの学者 Huntington は、書籍「私は誰?」の中で、アメリカ人の民族同一化問題を取り上げております。世界中で国家内の民族多元化、グローバル化は、だんだん伝統国家の同一化に取って変わりつつあり、特に先進国では、国家の同一化が危機状態になっております。「我々とは?」という問題は、単に日本人が直面してる問題ではありません。しかし、肯定できるのは、この問題は日本人にとって、大変大きな不確定性と独自性をもっており、「日本人とは?」という問題は、今後も日本人にとって、もっとも議論が盛んになる問題の一つでありつづけるでしょう。
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by shinoper
| 2007-10-19 13:35
| 日本社会